起業、事業の急成長と挫折、そして復活――現在成功している経営者の中でも、藤田晋氏ほど短期間で激しい浮き沈みを経験した人物はそういない。
24歳でサイバーエージェントを創業し、スピード上場、直後にITバブルが崩壊し、一時は会社売却寸前まで追い込まれた。しかし再び息を吹き返し、気が付けば数少ないITベンチャーの生き残り組として、今も業績を伸ばし続けている。
そうした激しいイメージとは裏腹に、インタビューに応える藤田氏はいたって物静かで、人の話を咀嚼しつつ丁寧な受け答えをする。これまで下してきた多くの大胆な決断と、人柄とのギャップが何とも印象的でもある。

事業構造大転換の決断を下したのは大きく2回

藤田氏がこれまでに、大転換の決断をしたのは
大きくわけて2回あったといいます。
大転換期は、「社運」をかけるほどの決断が必要だったといいます。
その2つとは、

創業以来注力してきたインターネット広告の代理店事業から、自社メディア「Ameba(アメーバ)」で主軸をBtoC領域にシフトした時、
そして経営資源をPCやガラケー向けからスマートフォン向けサービスに一気にシフトした時だ。

社運をかける決断は結果を見ると、誰もが大成功というでしょう↓↓↓

アメーバ事業は2009年に黒字化。スマホ事業については、本格的に取り組み始めてわずか2年余りで、1千億円の売り上げを創出するまでに成長。今や売り上げ全体の約3分の2を占める。藤田氏は言う。
しかし、当初はスマホ事業の売り上げも徐々にしか上がらず、既存事業も落ちこみ始めていたため、投資家からのプレッシャーも強かった。

一度すべてを「ゼロ」にし、大きくチェンジしないと、
生き残れなかったことを明かしています。
藤田氏は、没頭して受験生みたいな生活をしていたといいます。

「これほど大きな事業構造転換を、上場企業としてやるのは結構大変だった」と、藤田氏は振り返る。
集中している時は、他の事業のことは一切眼に入らないと言う藤田氏。この姿勢が今、実を結んでいるわけだが、ここまで極端に突っ走ると、失敗した時のリスクも当然大きい。
それでもひるまないメンタルの強さは、どのように養われたのか。

「勝負勘」

もともと社長に憧れていたわけでも、金持ちになりたかったわけでもなかったという藤田氏を強く惹きつけたのが、時を超えて生存し続ける企業に必要なのは、

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